「わたしのトリセツ(解剖学と生理学)」を学んで自分を守る!人生100年時代の処方箋

「自分の身体を自分で守るために必要な知識(わたしの取り扱い説明書)」と「問題を解決するための考え方(具体的な問題解決方法)」は、不安の多い人生100年時代を豊かに過ごすための処方箋です。

死ぬまで使い続ける「こころとからだ」

この世に「生」を受けた瞬間から死ぬまで一生使い続けるものがただひとつだけあります。

デザインが気に入らなくても、古くなって機能性が低下しても、一部分が壊れて使えなくなっても、新しく買い替えたり、他の人と交換したりすることができません。

さて、何でしょうか?

それは、「あなた自身(こころとからだ)」です。

私たちは、自分の身体や心を使って毎日生活をしています。

友達や家族とコミュニケーションができるのも、仕事ができるのも、美味しいモノを楽しめるのも、勉強や作業に没頭できるのも、スポーツに打ち込めるのも、全部あなたの心と身体があるからできることです。

さて、あなたは自分の心と身体の仕組みについてどれだけ知っていますか?

正しく丁寧に使えば長持ちする

スマホでも、パソコンでも、家具でも、家電でも、車でも、服でも。

形あるものには必ず寿命(耐用年数)がありますが、実際に有効に使える年数は、使う環境、使う回数、使い方に大きく左右されます。

例えば「スーツ」。

毎回専門店でクリーニングをしてもらい丁寧にアイロンをかけて適切な環境で保管をしていれば、何年経ってもコンディションはほとんど変わりませんが、素材の特性や適した洗濯方法を知らずに乱雑に扱えば、数回の洗濯でぼろぼろになってしまいます。

家電も使うごとに丁寧に掃除し定期的にメンテナンスをし、通常の耐用年数を超えてもずっと良いコンディションのまま使い続けている人もいれば、取扱説明書を読まずに間違った使い方をし、すぐに壊してしまう人もいます。

私たちの心と身体も同じで、正しい使い方で丁寧に使えば、良い状態(健康でスタイルが良く、パフォーマンスが高い)が長く続きます。

あなたが生まれてから死ぬまで使い続ける「あなたの心と身体」は世界中にあるどんな機械やAIよりも、精巧な仕組みで動いている超高性能マシンです。

ちょっとやそっとでは壊れないすごい仕組みを標準搭載しているため、私たちはその仕組みを知らなくても簡単には生命活動を脅かすような病気にはならないし、耐用年数も通常80年〜100年くらいあります。

でも、年齢を重ねれば重ねるほど、心と身体の健康度に個人差が出てくるのは、誰もが実感していることだと思います。

その個人差を生むのは持って生まれた知性や才能や努力の違いではなく、ある知識とその活かし方を知っているかどうかです。

「身体の仕組み」が「わたしのトリセツ」

その知識とは………..「自分のトリセツ」つまり「人体の解剖学と生理学」と「自分の身体を正しくメンテナンスしながら管理できる方法」のことです。

人体の構造を知る「解剖学」とその機能を知る「生理学」の知識があれば、自分の身体と適切にコミュニケーションが取れますし、病気や怪我など身体の正常な状態から逸脱した状態に気がつくことができるようになります。

詳しくはコチラ!

悩みや問題点を解決する方法

心と身体の悩みや問題を正しく適切に解決する方法は、ひとつしかありません。

  1. 現在の自分を客観的に観察して解消すべき問題点を明確にする
  2. その問題点を解決するための方法を正しく選ぶ
  3. 正しいやり方で実践する

『こころと身体の取り扱い説明書(解剖学と生理学)』を学んだら、身体の悩みや問題点を解決する方法を実践しましょう。

正しい知識を生かすには正しい知識の使い方を学ぶ必要があり、健康を維持するセルフセルフメンテナンスやセルフケアとは『自分の身体に対する問題解決能力を身につける』ことだと考えています。

セルフセルフメンテナンスやセルフケアにおいて効果的に結果を出す方法は、学校の学習やビジネスの問題解決と同じ原則が当てはまります。

「①現在の自分を客観的に観察して解消すべき問題点を明確にする」「②その問題点を解決するための方法を正しく選ぶ」「③正しいやり方で実践する」ことの繰り返し必要です。

自分で考えて、自分のためのヘルスケアを、自分でデザインできることを目指しましょう。

「辛い悩みを解消する方法」「不健康になる習慣(クセ)や不良姿勢を効果的に解消する方法」「人気のエクササイズのよくある間違いや勘違い」「悩みや目的に応じてアレンジしたり、自分のライフスタイルにあった無理せず続けられる健康管理法」を自分でデザインするためのヒントなどを提供します。

結果が出る人と出ない人の違い

講師や教員の経験から強く感じていることがあります。

クラス全員同じ教科書で同じ先生から習って同じ課題をやっていてもテストの点数など生徒から出てくる成果(アウトプット)全く違います。

そして、その違いが生徒の学習に対する姿勢を見ているとよくわかります。

成績(アウトプット)の悪い子は「答えを教えてもらうことで問題解決しよう(テストで点数だけとってしのごう)」とし、成績の良い子は「教科書や教師を【使って】自ら考え答えを導き出すことで問題を解決しよう」とします。

この能力の差の背景にあるのは事象を自分で読み解く力の有無だと感じています。

知識は「道具」として使えなければ意味がない

多くの教育者が、「教育を知識の提供」と考えていて、生徒に考え方を伝える方法を知らず、評価となるテストでも知識の量(覚えているかどうか)を試そうとしているので、ほとんどの生徒は教科書に書かれた完成された答えを先生から聞き出しそれを覚えてテストをクリアしようとしてしまうのです。

でも、知識はただの道具でしかなくて、自分で使いこなせなければ意味がないものです。

特にインターネットの普及により誰でも簡単にたくさんの情報にいつでもアクセスできる現代において、情報を持っていること自体にはもう大きな価値はありあmせん。

道具(知識)は自分で持っていないなら借りてくればいいだけだからです。

「何をするため」に、「どんな道具(知識や情報)を選ぶ」のか、そして「その道具(知識や情報)をどう使う」のかを一元化して考えられる能力がとても重要です。

「問題解決能力」がキー

ちょっと思い出してみてください。

子供のころ成績の良い子は算数が得意ではなかったですか?

算数が出来る子というのは、大体他の科目もよくできたのではないでしょうか?

進路を決める時、『数学』の得意・不得意が受験する学校を決める際に重要なポイントになっていませんでしたか?

『記憶』だけでも点数がとれる科目では差がつきにくいのですが、本質的な『思考力』を問われる数学ではやはり結果に差がつきやすいですし、その差は歳を追うごとにどんどん広がっていきます。

数学は、与えられた情報から論理的に答えを導きだしたり、仮定を論理的事実や検証を踏まえて証明してくことだったり、物事の普遍性や再現性を数字という客観的データを用いて表現することだったり人生においても最も重要な理論的な思考過程を学べる(練習できる)学問です。

物理学もこの観点で類似していますが、数学や物理が学校で習う他の学問と大きく違う点は、「正解を導くための過程を評価するプロセスがある」ことです。

つまり、「明確なゴール(答え)があって、そのゴール(答え)につながる道筋を与えられた素材(問題)から自分で作っていくことができ、その方法(道順)は決してひとつではないこと」「より効果的な、または簡単な方法を知ることが有効であることを学べること」「正解にたどり着くまでの過程が評価されること」は、覚えているかどうかや正解・不正解の2択でしか評価されない他の学問とは大きく違います。

特に近年は情報過多で大量の情報に簡単にアクセスできるので、いかに情報を選択し、組み合わせ、有効に自分の向かうゴールに合わせて使うことができるかどうかがキーポイントになります。

自分メンテナンスも問題解決の繰り返し

過程を評価し、改善を繰り返し、よりよい回答を導いていく問題解決思考は、セルフケアやセルフメンテナンスにしてもとても役に立つ思考回路です。

今病気じゃないし、医学なんて今の生活に必要ないし。。。

もしあなたが今そう思っているなら、既にとても大きな「損失」を出しています。

そして、もしこのまま「医学」を学ばないのだとしたら、今後も多大なる人生の「損失」を積み上げていくことになるでしょう。

数学が得意な人が受験の勝者になるのと同じ理由で、医学を正しく学べば人生の勝者になれます

『医学』は病気になったときの対処方法を学ぶだけの学問ではありませんし、実際病気になってからで学んでも遅いのです。

『医学』とは人体の仕組みを紐解いていき、自分が一生住み続ける家である自分の体を守り、コントロールすることができるようにするために活用できる学問です。

健康を維持するということは、『数学 = 問題解決能力の育成』のように、『医学 = 自分の身体に対する問題解決能力を身につける』ことであり、これが医学を学ぶ本質です。

この考えをもって自分の身体の仕組みについて本質的に知ることを続けていけば、必然的に自分の体に対する問題解決能力が身についていき、結果として病気になりにくい身体・健康な体作り、スポーツのパフォーマンス向上やスタイルの改善などなりたい自分、大切な人の健康や可能性を守る力につながります。

安易な対応で痛めた心身を病院で治療しようと思ったら、膨大な金額と時間がかかるだけでなく、その間あなたの可能性が断たれてやりたいことができなくなります。

これ以上「損失」を積み重ね、「ただほんの少し自分の体のことを知っていたらこんなことにはならなかったのに」と後悔しないようにして欲しいと切に願っています。

「すぐに変わる」よりも『根本解決』を目指す

2016年10月医学・生理学賞を東京工業大学の大隅良典栄誉教授がノーベル賞を受賞しました。

とても親しみやすい印象の大隅良典栄誉教授のコメントの中で忘れられない言葉があります。

私は「役に立つ」という言葉はとても社会をダメにしていると思っています。

すぐに役に立つことを研究していても、それは大発見や大きな成果には結びつかない。

「役に立つ」という言葉はとても魅力的ですが、その言葉の真意をあなたはどう考えますか?

大隅良典栄誉教授の言葉を聞いた時、大学の入学式で新入生に向けて学長から送られたメッセージを思い出しました。

正確な言葉を覚えていませんが要約すると以下のようになり、ノーベル医学・生理学賞を受賞した東京工業大学の大隅良典栄誉教授の言葉とかなり類似します。

「すぐに役に立つ人間ではなく、リーダーとなれる(世の中や各業界を引っ張っていける)人間を育てている」

「すぐに役に立つ人間は、すぐにダメになる(役に立たなくなる)人間だ。」

正直、最初は全く意味がわかりませんでした。

すぐに役に立つ方が良い気がしたからです。

卒業して社会に出て、「すぐに役に立つ」教育を受けてきた人とより「本質的な思考力や問題解決能力を鍛える」教育を受けてきた人の違いを明らかに実感できました。

「すぐに役に立つ」教育とは、現場ですぐに使えるテクニックや具体的な手段を教える教育です。

「すぐに役に立つ」教育を受けてきた人は教えてもらったテクニックは上手に使えるし、教えてもらった状況で教えてもらった対応はとても上手にできますので、一見とても優秀のような気がしてしまいます。

ですが、少し状況が変わったり何か問題点にぶつかったとき急に何もできなくなる、つまり、最初がピークでそれ以上の成長が非常に難しく、時代や求められるものが変わった瞬間に全く役に立たない人に変わってしまうリスクが非常に高いのです。

一方、すぐに使えるテクニックのようなものを学ぶのではなく、物事の本質・考え方を優先的に学んできた人達は、最初は現場ですぐに使えるテクニックを何も持っていないので現場の状況に戸惑うことがあり、一見使えない人に見えます。

ちょっと理解のない人だと「頭でっかちのくせに何もできないね..」などを思ってしまいがちですが、3ヶ月、半年と現場に慣れてきたときから彼らの力は発揮されます。

次々と問題を解決し、現状を改善し、テクニックも見違えるように上達していくだけではなく、次々と新しいものを生み出して、対象に合わせて最適化させていくことができます。

ここからはもう無敵で、何が起こっても怖くありませんし、信頼も人望も集まって行きますし、新しい発見やアイディアもどんどん浮かんできます。

自分で考えて問題解決することができる力を持った人間は、最終的にどんな場面でも「役に立つ」人になります。

これは、健康管理にも全く同じことが言えます。

例えば....「太っているので痩せたいと思ったとき」「血圧が高いので下げたいと思ったとき」「貧血がひどいのでどうにかしたいと思ったとき」「ニキビや肌荒れを治したいと思ったとき」まず、薬やサプリメントのような即効性があるものを求めてしまいませんか?

でも、その結果得られるのは一時的な満足のみで長期的に見ると効果はマイナスの方向(具体的には副作用に悩まされたり、本来の身体機能が低下することによる慢性疾患を患うなど)に向かっていくケースがほとんどです。

あなたがある日突然病気なることはほぼ100%なく、身体の細胞が少しずつ少しずつ変化していき、ある日あなたが自覚した日もしくは重篤な症状が出る日に突然と現れた感じるだけです。

身体の仕組みについて正しく知っていれば、身体を痛めつけるような安易な方法は必然的に選ばなくなりますし、そもそもそんな危険な方法を選ばなくても健康な状態を維持できるようになります。

「病気になってからの対処法(すぐに役立つように見えるが一時的な効果しかなくマイナス要素も大きい方法)を学ぶ」のか、「健康な状態を維持するために自分の身体のことを正しく知る(直ぐに役に立たないけれど根本的な解決方法)を学ぶ」のか、どちらが豊かな人生を歩めるのかは明白ですよね。

即効性を求めると、危険な副作用や常習利用が必要となるような医薬品に頼ったり、身体に過剰な負担をかける結果になり、以前より悪い状態になるリクスが非常に高いです。

より良くするために頑張ってお金をかけて行ったことで、状態を悪化させて人生を台無しにするようなことになったらそれほど切ないことはありません。

現代は「当たり前のことを当たり前に続ける」という本当に大切なことを忘れて、過激で即効性のある一過性のものが注目されがちですが、当たり前のことを当たり前に続けることが本当に大切なことであると改めて実感しています。

目先のことだけにとらわれず、本質を見極められる力が必要なのはどの分野でも同じ。

世の中に溢れる間違った情報に惑わされず、あなたの健康や人生を大切にして生きるための考え方を学ぶためにこのサイトがあります。

本質まで掘り下げて体系立てた情報をわかりやすく伝えて、その結果、自分で考え自分で答えを導けるようになることを意識して構成しています。

情報の本質を見抜くデータの読み方

様々な情報が錯綜している現代では、情報(データ)自体に嘘がなくても、データ(情報)の読み方・解釈・推測を誤れば、問題に巻き込まれています。

一方、データを正しく読めれば、どんな時も冷静な判断で適切な行動を選べるようになりますので、データの読み方についていくつか身近な例をあげてみます。

世の中にはいろんな健康や医療に関する情報が、もっともらしいデータとともに紹介されることがよくありますが、そのデータの信用性を正しく見極められる人は本当に少ないと感じています。

あなたが普段目にする情報は、説明する側が有利になるように切り取られた情報の一部なので、その背景にあるものを自分でしっかり考えられるようにならないと結果間違った情報を手に入れてしまいますし、間違った情報を選んだり、解釈がずれてしまうと、健康になりたいとか病気や辛い状態から解放されたいと思って始めたことで逆に身体を壊してしまうことになりかねません。

健康維持に一番大切なのは、基本となる人間の身体の仕組みを正しく知ることです。

正しくぶれない基礎知識があれば自分自信で自分の健康は守れるのはもちろんのこと、間違った情報に惑わされることがなくなります。

コーヒーと癌の関係に関する研究データ

例えば、コーヒーと癌の関連を調査したデータを分析した2つのチームからそれぞれ一見矛盾するような2つの結論が提示されたとします。

  • 「コーヒーに癌予防効果がある」
  • 「コーヒーを飲む人は癌になる確率が高い」

同じ「コーヒーと癌の関連を調べたデータ」から真逆とも言える結論が導き出された背景にはどんな違いがあるのでしょうか?

①「コーヒーに癌予防効果がある」と結論付けたチームの根拠は「コーヒーを毎日飲む人の方がコーヒーを飲まない人よりも発がん率が低い」というデータで、②「コーヒーを飲む人は癌になる確率が高い」と結論付けたチームの根拠は、「コーヒーを毎日飲む人の方がコーヒーを飲まない人よりも発がん率が高い」というデータにあり、それぞれもっともらしいデータが添えられています。

正反対のように聞こえる結論が蔓延る世の中で、わたしたちはどうやって情報の正確性を見極めていけばいいのでしょうか?

データという数字は誰が見ても同じですが、そのデータのもとになるサンプルからをどんな情報をどう切り取ってくるかで結論が真逆になる可能性は十分に考えられます。

例えば、「対象サンプル数」「対象サンプルの年代」「対象サンプルの既往歴」「対象サンプルの生活習慣」「対象サンプルをどこでどうやって調査したのか」「癌の具体的な名称やどのレベルのものか」、など同じ「コーヒーと発癌率の関係」を調べたものでも、データの対象となるサンプルや調べ方が異なれば違う結果が出るので、まずデータ要素を多角的に判断をしなければ、有意性のある確率や可能性を導きだすことはできません。

つまり、コーヒーと癌だけでは真逆になってしまう可能性があるデータからより正確な情報を得たい場合は、何か要素を追加する必要があります。

例えば、上記のコーヒーと癌の関係の間に「タバコと肺がん」を入れてみると、タバコと肺がんの確率に相関性があることは医学を勉強したことがない人でもおそらく容易に想像がつくと思いますが、この有意性は他の論文やデータでも説明されています。

つまり、②「コーヒーを飲む人は癌になる確率が高い」と結論付けたチームが集めた「毎日コーヒーを飲む人」のサンプルが、コーヒーと一緒にタバコを吸う人だった場合、肺がんの発がん率はタバコも吸わない人よりも上がりますので、コーヒーと発がん性の相関を結論づけられない、ということもあり得ます。

新型コロナウィルスに感染者数に関連するデータ

データが正しく読めれば、2020年に流行が始まり長く世界を苦しめている新型コロナウィルス(Covid-19)によるパンデミックで社会が混乱している時も、目先の数字に惑わされずに適切な状況判断ができる可能性が高まります。

いつ新しい感染症が大流行してもおかしくない世の中で、きちんと医療関係の統計データを理解できる人が多ければ多いほど、社会の混乱は最小限に抑えられます。

例えば、2020年4月21日、慶應義塾大学病院が「新型コロナウイルス感染症に関する当院の状況について」以下のように発表しましたが、この説明の中の「67人中4人が陽性」をあなたならどう捉えますか?

4月13日から4月19日の期間に行われた術前および入院前PCR検査において、新型コロナウイルス感染症以外の治療を目的とした無症状の患者さんのうち5.97%の陽性者(4人/67人中)が確認されました。

これは院外・市中で感染したものと考えられ、地域での感染の状況を反映している可能性があり、感染防止にむけてさらなる策を講じていく必要があると考えております。

67人中4人を計算すると陽性率は5.97%でこれは紛れもない事実ですし、この67人は新型コロナウィルス感染症と関係ない治療でたまたま来院したので、「地域での感染の状況を反映」している可能性はありますので、この報告自体になんの間違いも情報操作もありません。

ただ、例えばもし誰かがこのデータを使って、「東京都の人口は927万人おりその6%なら、およそ56万人が感染している」と「推測(予測に基づく解釈)」して、あたかも調査により明らかになったデータのように発表したら不適切です。

慶應義塾大学病院が発表した記述統計は「地域での感染の状況を反映している可能性がある」ことを示すデータにはなり得るけれど、東京都全体に対する推測に使うような調査結果ではありません。

東京都全体に対する推測を行いたい場合は、知りたい集団(東京都全体)から偏りなく調査対象をサンプリングする必要があります。